詳しい人たちの空気に、距離を感じてしまった人へ

F1を観ていて、
ふと、こんな感覚になったことはないでしょうか。

「なんだか、詳しい人たちの空気に入りづらいな」
「自分は、ちゃんと語れる側じゃない気がする」

誰かに直接言われたわけではない。
否定されたわけでもない。

それでも、
会話のテンポや専門的な話題、
当たり前のように飛び交う用語に触れているうちに、
少しずつ距離を感じてしまうことがあります。

F1が嫌いになったわけじゃない。
つまらなくなったわけでもない。

ただ、
「ここは自分の居場所じゃないのかもしれない」
そんな気持ちが、静かに生まれてしまった。

もし、そう感じたことがあるなら、
それはとても自然なことだと思います。

詳しい人たちの空気に、距離を感じてしまう

F1を観ていると、ときどき感じることがあります。

周りには、
・最新の動向を把握していて
・細かいルールや背景もよく知っていて
・当たり前のように専門的な話をしている人たちがいる

そんな空気の中で、ふと、

「自分は、ちゃんと語れる側じゃない気がする」

と思ってしまう瞬間です。

それは、誰かに何かを言われたからではないかもしれません。
直接否定されたわけでも、排除されたわけでもない。

ただ、
話題のスピードや前提知識の多さに、
自分の居場所がないように感じてしまう。

その感覚が、
いつの間にか「距離」になっていきます。

でも、ここで一つ大事なことがあります。

F1を観ることと、
F1を語れることは、同じではありません。

詳しく説明できなくてもいい。
議論に参加できなくてもいい。
知識を披露できなくてもいい。

F1は、
「分かっている人のための世界」ではありません。

それでも、
詳しい人たちの存在が目に入ると、
無意識に比べてしまうことがあります。

「自分は、そこまでじゃないな」
「このくらいの理解で、好きと言っていいのかな」

そう感じてしまうのは、
詳しい人が悪いわけでも、あなたが弱いわけでもありません。

ただ、
“熱量の高い人が目立ちやすい場所”では、
自然と起きてしまう感覚です。

距離を感じるようになったからといって、
それは「向いていない」という意味ではありません。

むしろ、
それだけ真面目にF1と向き合ってきた証拠でもあります。

適当に観ていれば、
こんなふうに悩むことすらありません。

「ちゃんと語れない気がする」と感じるのは、
F1を大切に思っていたからこそ生まれる気持ちです。

その違和感を覚えた時点で、
すでにF1との関係は始まっています。

そう感じてしまう理由は、ひとつじゃない

詳しい人たちの空気に、距離を感じてしまうのは、
あなたの気持ちが薄いからでも、姿勢が足りないからでもありません。

F1のまわりには、
長く観ている人、深く掘り下げている人、
知識や考察を言葉にするのが得意な人が、自然と集まってきます。

そういう人たちの発信は目に入りやすく、
SNSやコメント欄では、どうしても「基準」のように見えてしまいます。

すると、
本当は誰にも求められていないのに、
自分の中で勝手に線を引いてしまう。

「このくらいの理解じゃ足りないかもしれない」
「ちゃんと追えていない自分は、場違いかもしれない」

そうやって、
楽しむ前に、立ち位置を気にしてしまうことがあります。

でもそれは、
F1を好きな人が多い場所ほど、起きやすいことです。

熱量の高い人が前に出ていると、
静かに楽しんでいる人は、どうしても見えにくくなる。
その結果、
「自分は少数派なのかもしれない」と感じてしまうだけです。

本当は、

  • 毎戦観ていなくても
  • 細かいルールを知らなくても
  • 語らなくても

F1を楽しんでいる人は、たくさんいます。

ただ、その人たちは声を上げていないだけ。
目立っていないだけです。

距離を感じてしまうのは、
あなたがF1から離れたからではありません。

“見える場所にいる人たち”と、
“静かに楽しんでいる自分”を、比べてしまっただけ
です。

距離を感じても、F1ファンでいられる

距離を感じてしまったとき、
無理にその輪の中に入ろうとする必要はありません。

F1は、
誰かと比べながら楽しむものでも、
同じ熱量で語り合わなければならないものでもありません。

  • 深く語る人がいてもいい
  • 静かに眺める人がいてもいい
  • 離れたり戻ったりする人がいてもいい

そのすべてが、同じ「F1の楽しみ方」です。

詳しい人たちの会話に入れないと感じたなら、
それは「今の自分に合っていない場所」だっただけかもしれません。

場所を変えれば、見え方も変わります。

レースそのものを見るだけでもいいし、
結果だけをあとで知るのでもいい。
SNSを見ない、コメントを読まない、という選択もあります。

距離を取ることは、
F1を嫌いになったという意味ではありません。

むしろ、
自分にとって心地いい関わり方を探している途中とも言えます。

「ちゃんと語れないから引く」のではなく、
「いまは静かに観たいから、距離を置く」。

そう言い換えてもいいと思います。

F1は、
近づいたり、離れたりを繰り返しても、
何も言わずにそこにあり続けてくれます。

一度距離を感じたからといって、
もう戻れないわけではありません。

無理に輪に入らなくてもいい。
自分の場所は、あとからでも見つかります。

まとめ

詳しい人たちの空気に、
少し距離を感じてしまうことがあっても、それは自然なことです。

F1を観ている理由は、人それぞれです。
語り合いたい人もいれば、
ただレースの雰囲気を感じたい人もいる。

どちらが正しい、という話ではありません。

誰かと同じ熱量でいられなくなったからといって、
F1が合わなくなったわけでも、
自分が変わってしまったわけでもありません。

今の自分にとって、
少し距離があったほうが心地いい。
それだけのことです。

F1は、
深く語れる人だけのものではありません。
静かに見守る人の居場所も、ちゃんとあります。

無理に輪に入らなくていい。
無理に戻らなくていい。
また近づきたくなったら、そのときでいい。

F1との距離は、
自分で決めていい。

その自由さも含めて、
F1を楽しむ、ということだと思います。

・・・

F1は、そのつきあう距離に合わせて、視聴する方法も変えられます。
ちょうどいい距離感に合わせた視聴方法をまとめた記事があります。
日本でF1を観る方法|いまの視聴環境をやさしく整理します

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