熱狂は落ち着いた。でも、好きはやめなかった。

エッセイ

今もF1は毎戦見ている。
でも、昔ほど熱狂しているわけではない。

勝敗で一日が左右されることもないし、
レースのために生活を組み立てることもない。

それでも、観るのをやめようと思ったことは一度もない。

好きという感情は、案外しぶとい。

あの頃、F1は生活の中心にあった

90年代の終わりから2000年代にかけて、
私にとってF1は“ただの週末の予定”ではなかった。

フリー走行はテレビ中継がなかったから、
ネットのタイミングモニターで追った。
予選順位で日曜の心の準備が決まった。

絶対的だったミハエル・シューマッハの全盛期。
憎らしいほどの安定感。
他を寄せ付けない勝ち方。

「どうせ勝ってしまう」という不思議な安心感と、
「でも何が起きるかわからない」という緊張感。

深夜にテレビの前で身構えて見ていた記憶がある。

日本の熱も、確かにそこにあった

あの時代は、日本にとっても特別だった。

佐藤琢磨が参戦し、
ブリヂストンがタイヤ戦争に加わり、
ホンダとトヨタがグランプリの舞台に並んでいた。

メーカー同士の意地。
日本人ドライバーへの期待。
「世界最高峰」に日本が本気で挑んでいる、そんな高揚感。

F1は遠いヨーロッパの話だったが、
それをぐっと近くに感じられる時代でもあった。

いつからか、熱狂は落ち着いた

今もレースは見る。
結果も追う。
技術の進歩にも感心する。

でも、かつてのように
勝敗で一日が左右されることはない。

仕事や家庭の優先順位が変わったこともある。
感情の使い方が、少し変わったのかもしれない。

それでも、
観るのをやめようと思ったことは、不思議と一度もない。

静かな熱意という形

昔のような“燃えるような好き”ではない。

でも、
週末にレースがあると知ると少し嬉しい。
スタート前の緊張感は、今でも好きだ。

大きく喜びもしない。
大きく落ち込みもしない。

それでも、見続けている。

好きという感情は、
派手に燃え続けるものではないのかもしれない。

むしろ、
一度落ち着いたあとに残るもののほうが、
長く続くのかもしれない。

まとめ|好きは、いい意味でしぶとい

熱狂は落ち着いた。
優先順位の高いことは他に山ほどある。

それでも、F1を観るのをやめなかった。

好きという感情は、
思っているよりもしぶとい。

派手ではない。
声も大きくない。
でも確かにそこにある。

今の私にとってのF1は、
静かに続いている大切な時間だ。

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